作成日: 10/02/19
修正日: 10/07/28

原子力発電所の作業者の線量を上げているのは何だろうか?

原子力発電所の作業者の線量さえもトレードオフなので関係者の合意形成が重要



びしっとした気持ちよいコラムだね。



原子力発電所の作業者の集団線量低減策を考えることに意義があることの条件

加藤先生からはいつもきちんと考えなさいって言われるでしょ。
ちゃんと吟味しないとだめよ。
「放射線業務従事者の集団線量の低減対策の強化」を考えることに意義がある条件を考えてごらんなさい。

う~む。そもそも 総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会基本政策小委員会では何故改善が必要ってことになったのだろう。
「1基当たりの総被曝線量(集団線量)が欧米に比べて高い」とあるのは間違いないのかな?

データの吟味

そうね。データを吟味することも必要ね。
韓国の担当者によると医療従事者の値が高いのは測定のエラーによることもあるそうよ。
集団線量はリスクが線量に比例すると考えると集団のリスクを推計するには有用だけど、外れ値の影響を受けやすいから注意が必要よ。

でも、日本の原子力施設の作業者の線量測定が間違っているとは考えがたいと思うけど。


誤って高い線量になることはないとして、日本の方が線量測定が丁寧だとすると、線量が低い集団の線量もきちんと拾い上げているのかもしれないわね。


最適化という考え方

データが正しいとしても単に線量低減を目指すのが適切ではないというのは、その通りだと思うけど、さらに線量を低減すべきかどうかはどう考えればよいのかなあ。
もしかしたら放射線診療と同じように考えても良いのだろうか。

放射線診療にならって考えてみたらどうかしら。
放射線検査は少ない線量で行えばそれでよいのかな?

そんな訳はない。
線量が少ないと放射線リスクは小さくなるけど、得られる情報も減るので検査の役目を果たせず、結果として患者さんに不利益をもたらすはずだ。
何でもトレードオフだから最適化が大切なのじゃないかな。

このコラムもその考え方もそれに帰着されるわね。
さて安全が同じように確保されて、集団線量が減ればそれでよいのかしら。
ベテランの作業者を活用すると、作業が効率化して、全体として線量は減るはずだけど。

これも核医学検査に誰が従事するかに似ていそうだね。
ベテランに作業を集中させると集団線量は減るかもしれないけど関係者がフェアな立場で合意しないとよくないと思う。少ない線量だとリスクが小さいだけでなくリスク係数の不確かさが大きくなることも考慮すると良いと思う。
加藤理事長が言いたかったことは、最適化を考える場合の視点を適切に選ぶべきということだと考えられると思う。

調査や話し合いにどれだけ労力をかけるのがよいかしら。


期待できる改善度よりも投資するのは不合理だと思う。


バランスが大切ってことよね。
パブリックコメントでもその観点からの意見があるので興味がある方はご覧になってください。
国民線量への寄与がわずか1%という指摘に加藤先生の思いが込められていそうね。

国民線量への寄与を考えると放射線診療での曝露を減らすのが効率的って思われてしまうかもしれないけど、意義のある検査をやめてしまうのはよくないから、これもバランスを考えるべきだと思う。


メディアの不勉強を叱責すれば問題は解決する?

加藤先生は、官僚、企業経営者、メデイアがバランスを欠いていることを嘆いておられるけど、どうすればよいのかしら。


結局バランスを取るしかないというのは、少し考えれば、国民誰もが理解できることだと思うから、問題の本質を、専門家集団であるこのNPO法人がわかりやすく説明するのがよいのじゃないかなあ。

わかりやすく説明すればそれでよいのかな?


欠陥モデルを乗り越えるにはどうすればよいかというお話になりそうだね。
加藤先生曰く、「あのコラムで言いたかったもう一つのことは、マスコミが“取材源”から渡された情報を単純に“転記”して伝えるだけの現状、情報の品質や価値を評価する力が大きく欠落している“現状”への警鐘です。」だそうです。
メディアの実力不足なので,メディアを鍛えればそれで問題解決というのは甘すぎるかもしれないというか、それが問題を解決できない原因ではないだろうか。


問題を解決するには専門家の認識を変える必要がある。

場作りが重要というお話になりそうね。


「固定化した役割図式を再生産」する構図からの離脱をどうするかがポイントだと思う。


今回は概念論でしたが、具体的な問題には、きっちり突っ込んでいきたいと思いますので、メデイアの方々も期待していてください。